中津箒の市民蔵常右衛門訪問
2015年1月28日
河合箒の技術伝統をどうやって継承するか、大きな壁にぶち当たってしまった昨年末。打開策を考えるのに、まずは先人の足跡を視察に行こうとまとまり、神奈川県愛川町の「中津箒の市民蔵常右衛門」さんを訪問&ワークショップ体験をすることになり、種継人の会有志6名で行ってきました。ナビがあるとどこでも行けるね!(運転は自分でないですけど)
こちらは、昭和10年に建てられたという蔵、以前はホウキ草の保管等に使用していたところを、ギャラリー兼店舗として改装しています。蔵は2階建て、一階は世界各地の箒を収集、写真のように展示してあります。素材も形もいろいろ、その土地の風土に合わせ、ある物で道具を作ってきた人の歴史が垣間見えます。
代表の柳川直子さんにお話を伺いました。
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いったんは途絶えてしまった産業としてのホウキ作り、後世に伝えるにはどうしたらいいか、戦略をきちんと立てて復活させてきた。ホウキがちゃんと売れて、職人さんの生計が成り立つシステムを作り上げないと、技術は残っていかない。
日本各地にあった箒は、それぞれその土地の風土に基づく。「箒」というひとつのものを残すことは、イコールその土地の歴史風土文化を引き継ぐことでもある、それを途絶えさせるわけには行かない.蔵も、壊すわけにはいかないと思った。
衰退したものをそのまま復原したのでは、世の中のニーズに合わないので、「売れる=残る」はずがない。生活に密着した道具にどんな付加価値をつけるかを熟考したうえで、デザインと用途を考え直すことにした。その方向性にあった、デザイン・技術・意欲を全部満たす人材は、美大系で捜すしかない、と自らが美大に入学し直して捜すところから始めた。
ただ、生活の道具である箒を,高級工芸品にしてしまうのではなく、ちょっとがんばれば手が届く価格にすることも大事にしている。
種は、毎年種用に採取し、翌年蒔かないと発芽率が極端におちる。途絶えてしまった種を、お願いして譲っていただいたときは、片手の手のひらにのるくらいの量しか手に入らなかったが、それを毎年栽培し増やして、今は5反歩の畑にホウキ草をつくっている。
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お話は、ものをつくる人の気概にあふれたもので、何を伺ってもその通りだとうなづき力づけられることばかりでした。もっとおうかがいしていたいけど、ワークショップもやらなくては!ということで、ワークショップと製品の展示がしてある2階へ。
製品をみて、お話のすごさを改めて感じました。今まで見聞きしてきた箒の概念の上を行っている製品というより作品の数々。編み込みの方法、使う糸の色から、すべて驚くようなすばらしい仕上がりです。「良質な箒と文化を残そうと活動を行っている」その言葉通りです。
下でお話を伺っている時に、代表の方の手元に並べられた↓これが気になっていたのですが、これがワークショップの材料のひとつでした。
座敷箒などを作るときにどうしても切れたりしてでてしまう穂先の残り、それを捨てるに忍びないと利用法を考え、小さな箒として生き返らせた、それをワークショップで作ります。
下の写真が、ワークショップの材料。左上にある束ねた穂先を何本かまとめ、その上に茎の部分を巻き込んで持ち手を作っていきます。
↓はその持ち手部分が斜めになっていくタイプ。2名がこのタイプにトライしました。
ひとことも話しません・・・真剣です!
のこり4名はもっと簡単なつくりのものにトライ、下の写真、両脇の二人が指に掛けている小さな箒をつくりました。できあがってみると早速そこら中を掃除したくなります。実際はPCのキーボードあたりを掃除するのに便利です!
箒で掃除をする、穂先がたたみにあたる感覚、床を掃除して綺麗になって一件落着という感覚、そんな暮らしの時間もきちんと伝えて行きたいなと思いました。
今回の視察は内容が濃かった!夢も広がります、夢で終わらせたくない、なんとか生計がたつ道を私たちも模索したいと思いつつ帰途につきました。
翌日の月曜日夜中までホウキ作りを学んだ代表はインフルで寝込んだという、熱・・・のお話です。
こちらは、昭和10年に建てられたという蔵、以前はホウキ草の保管等に使用していたところを、ギャラリー兼店舗として改装しています。蔵は2階建て、一階は世界各地の箒を収集、写真のように展示してあります。素材も形もいろいろ、その土地の風土に合わせ、ある物で道具を作ってきた人の歴史が垣間見えます。
代表の柳川直子さんにお話を伺いました。
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いったんは途絶えてしまった産業としてのホウキ作り、後世に伝えるにはどうしたらいいか、戦略をきちんと立てて復活させてきた。ホウキがちゃんと売れて、職人さんの生計が成り立つシステムを作り上げないと、技術は残っていかない。
日本各地にあった箒は、それぞれその土地の風土に基づく。「箒」というひとつのものを残すことは、イコールその土地の歴史風土文化を引き継ぐことでもある、それを途絶えさせるわけには行かない.蔵も、壊すわけにはいかないと思った。
衰退したものをそのまま復原したのでは、世の中のニーズに合わないので、「売れる=残る」はずがない。生活に密着した道具にどんな付加価値をつけるかを熟考したうえで、デザインと用途を考え直すことにした。その方向性にあった、デザイン・技術・意欲を全部満たす人材は、美大系で捜すしかない、と自らが美大に入学し直して捜すところから始めた。
ただ、生活の道具である箒を,高級工芸品にしてしまうのではなく、ちょっとがんばれば手が届く価格にすることも大事にしている。
種は、毎年種用に採取し、翌年蒔かないと発芽率が極端におちる。途絶えてしまった種を、お願いして譲っていただいたときは、片手の手のひらにのるくらいの量しか手に入らなかったが、それを毎年栽培し増やして、今は5反歩の畑にホウキ草をつくっている。
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お話は、ものをつくる人の気概にあふれたもので、何を伺ってもその通りだとうなづき力づけられることばかりでした。もっとおうかがいしていたいけど、ワークショップもやらなくては!ということで、ワークショップと製品の展示がしてある2階へ。
製品をみて、お話のすごさを改めて感じました。今まで見聞きしてきた箒の概念の上を行っている製品というより作品の数々。編み込みの方法、使う糸の色から、すべて驚くようなすばらしい仕上がりです。「良質な箒と文化を残そうと活動を行っている」その言葉通りです。
下でお話を伺っている時に、代表の方の手元に並べられた↓これが気になっていたのですが、これがワークショップの材料のひとつでした。
座敷箒などを作るときにどうしても切れたりしてでてしまう穂先の残り、それを捨てるに忍びないと利用法を考え、小さな箒として生き返らせた、それをワークショップで作ります。
下の写真が、ワークショップの材料。左上にある束ねた穂先を何本かまとめ、その上に茎の部分を巻き込んで持ち手を作っていきます。
↓はその持ち手部分が斜めになっていくタイプ。2名がこのタイプにトライしました。
ひとことも話しません・・・真剣です!
のこり4名はもっと簡単なつくりのものにトライ、下の写真、両脇の二人が指に掛けている小さな箒をつくりました。できあがってみると早速そこら中を掃除したくなります。実際はPCのキーボードあたりを掃除するのに便利です!
箒で掃除をする、穂先がたたみにあたる感覚、床を掃除して綺麗になって一件落着という感覚、そんな暮らしの時間もきちんと伝えて行きたいなと思いました。
今回の視察は内容が濃かった!夢も広がります、夢で終わらせたくない、なんとか生計がたつ道を私たちも模索したいと思いつつ帰途につきました。
翌日の月曜日夜中までホウキ作りを学んだ代表はインフルで寝込んだという、熱・・・のお話です。
(塩原慶子)